私がいつも植物の
写真を撮るのを
見ているせいか
ホラ、これも
撮ったら良いんじゃない!
とガールズが手を添える
生き生きと
しているのは
植物だけではなく
彼女たちも
実に活き活きとしている
もちろん
両親のもとへ戻り
ここがホームだという
安堵感もあるが
日本の九州の
小さな街で
夫と私に連れられていると
しげしげと見られる事が
少なからずある
まだ幼かった頃
蕎麦屋で高齢の女将さんに
あら〜アイノコちゃんなの?
と言われて
大人たちは苦笑いだった
こともあった
さすがにもう
その言葉は死語だと
思いたいが
しげしげと見られる
だけでなく
見知らぬ人々に
ハーフなの?
と興味本位で聞かれる
こともある
日本も都会なら
いざ知らず
地方ではどこも
そんなものなのだろう
私がこの街を好きな理由は
多様性を
認めるところで
肌の色も髪の色も
国籍も言葉も
生活習慣も
それぞれ違うのは
当然のこと
ではこの国はどこでも
そうなのかというと
実はそうではない
白人が9割を占める街で
暮らしていた時の
じろじろと見られた
あの感覚は
日本で彼女たちが
経験するものと
同じだと思う
人種のるつぼ
(melting pot)
といえば
ニューヨークを表して
いたけれど
それぞれの文化が
溶けて混ざり合う事は無いので
最近は
人種のサラダボウルと
言い換えられている
この街だが
みんな違って当たり前と
自然体で
いられる環境が
活き活きと見える理由の
ひとつなのだろう
と感じている